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戦隊の名乗りは、なぜかっこいいのか

単なる自己紹介に非ず

戦隊の名乗りは、なぜあれほどかっこよく感じるのでしょうか。
派手なポーズや決めゼリフが理由だと思われがちですが

本質はそこではない気がしています。

名乗りの源流をたどると、歌舞伎や戦国時代に見られる
戦う前に自らの身分や名を名乗る文化に行き着きます。

名を名乗るという行為は、単なる自己紹介ではありません。

それは、

自分はここにいる
この立場、この名前で戦う

ということを宣言しているのだと思います。

名前を出すということは、自分をさらけ出すこと

名前を出すということは、
自分の存在を隠さないということでもあります。

逃げられない。
言い訳もできない。
勝っても負けても、その結果を引き受ける。

だから名乗りには、
責任を背負う覚悟がにじみ出ます。

この「背負っている感」こそが、
名乗りを圧倒的にかっこよく見せているのだと思います。

名乗りはフェアネスの象徴でもある

もう一つ、名乗りが美しく見える理由があります。

それは、
名乗る時間そのものが、相手に準備時間を与えている
という点です。

不意打ちではない。
奇襲でもない。
正面から向き合う。

これは日本で言えば武士道であり、
西洋で言えば騎士道精神に近い価値観です。

勝てばいい、倒せばいいのではなく、
どう戦うかに価値を置く美学。

戦隊の名乗りは、その象徴だと思います。

「ここにいる」「さらす」という特撮の言葉たち

特撮を振り返ると、
名乗りそのものではなくても、
同じ思想を持つ言葉が数多く登場します。

たとえば
ウルトラマンタロウの


「そしてタロウはここにいる」

ウルトラマンタロウ


というフレーズ。

これは名前を名乗ってはいませんが、
意味としては完全に名乗りです。

「自分は不在ではない」
「ここで戦っている存在だ」

という存在と責任の宣言

また、超人機メタルダーの


「ありのままの自分を太陽にさらすのだ」

君の青春は輝いているか

という言葉もそうです。

隠さない。
偽らない。
弱さも含めて表に出る。

これは名を名乗る以上に、
重い覚悟を伴う行為かもしれません。

名乗りの本質は「自己表現」ではない

誤解されがちですが、
特撮における名乗りは自己表現ではありません。

それは、

自分はこの立場で、この結果を引き受ける存在だと世界に示すこと

つまり、

責任の可視化

です。

だからこそ名乗りは、

  • フェアで
  • 誇りがあり
  • 美しく
  • かっこいい

のだと思います。

現代社会との決定的なズレ

現代では、

奇襲も正義

効率・売上が最優先

情報を隠しておく

そんな価値観が
「現実的」「合理的」とされる場面も少なくありません。

だからこそ、
戦隊の名乗りは強烈に浮き上がります。

自分をさらけ出し、
相手にも準備を与え、
その上で正面から立つ。

この姿勢は、
利己的な価値観とは真逆だからです。

それでもなお、
世界中の人の心を打ち続けている。

そこに、特撮が持つ普遍性があるのだと思います。

名乗りとは責任の可視化

余談と宣伝

だからこそ、
この感覚を「考えるだけ」で終わらせず、
遊びとして体験できる形にしてみました。

名乗りという思想を、
少しだけ現実に持ち込むための、ひとつの実験です。

これは堅苦しいものではなく、お遊びなんですけどね。

ちなみにこのアプリを作るとこんな動画が作れます

興味がある人だけ、どうぞ。

また何か不便な点があったら、ドシドシ意見ください。

ヨーセツ
特撮ヒーローに元気をもらって何とか生きています。特撮ヒーローから得た感動シーン、名言などをアウトプットして、二次的に特撮ヒーローを満喫しているサイトです。 まだまだ修行中ですが、このサイトの記事を読んで、少しでも元気になってくれることが夢です。 たまに好きな漫画、アニメについても書きます。 Twitterもやってます。気が向けばフォローお願いします。